友人とZoomで久しぶりに話した。
彼女とは去年、ライフコーチの講座で知り合った。
一見、ぜんぜんタイプが違うのに、仲間から友だちになった。
今は別の講座で共に学んでいる。
私はこの間に大きな気付きの波がやってきて、さぶーんさぶ~んと受けては超え、自分に対しての大きな疑問が解けていくのを細胞レベルで感じてきた。
だからその分、講座にぜんぜん参加できていない。
なので当然、遅れに遅れてしまっている。
だけど、この時間と気付きはこの人生で自分が欲していたことだったと、心から納得している。
そういうこともあって、彼女とはふだんから個人的につながりあっているけれど、
彼女が私を気にしてくれて、Zoomで話そうと設定してくれた。
彼女は試行錯誤しながら、ライフコーチのセッションを立ち上げるためにひとつずつ階段を上っている。
彼女の言葉を借りると、波打ち際で「泳げるかな?」とぴちゃぴちゃやっていたけど、
いよいよ大海に泳ぎ出していく感覚なんだそうだ。
この例え話、素晴らしくない?
私は彼女のこういう感覚がすごく好きでめちゃくちゃ尊敬している。
そういう彼女を見てきて、その行動力にいつも感心してきた。
彼女は頭で考えるより先に動く。
私は頭で考えて、ちょっと違う。。と止まってきた。
その「ちょっと違う」が「けっこう違う」と思うから止まるのであって、
止まる自分を信じて波が立ち上がっていくのを受けてきて、波が去ったあとは心の混濁が引いていき、澄んだ水がたたえられていく。
その繰り返し、繰り返し。
焦る。まだなの?って。まだ時間かかるの?止まってるの?って。
ただ、その内側に向く時間は、圧倒的に自分に問いかける深さと波があるぶん、還ってくる答えが桁違いだったりする。
人に話せないこと。人とつながれない時間、孤独。
そんなものが、今の自分に必要な分だけ成長させてくれる。
そんなことを話しているとき、彼女が「これからも孤独を感じることがあるかもしれないから、先に言っておくけど」と話しを挟んできた。
私はその口調から、え??何か厳しいことを言われるのかな?と少し身構えた。
すると彼女は、
「そんな孤独の外側には、ちゃんとわたしがいるからね」
と言った。
もう泣いた泣いた・・・
なにより言った本人がティッシュで目元をぬぐっている。言われた私より先に。
そんな言葉を瞬間にかけてくれる暖かさ。
大抵はそんな話しを、「孤独はその人に必要なこと」と本人の課題に限定することがほとんどの反応だと思う。
その孤独を乗り越えたら楽になるからね、とか。
そんなことはもう誰もが大体分かっている。
その「孤独」に、どう寄り添えるのか。
私がどうあると孤独から救われるのか、を考えて言ったとは到底思えないんだけれど、
私に想いを寄せてくれた彼女の真の心に触れ、
猛烈に感謝だけがただ湧いた。
彼女もとうぜん、同じ孤独を味わった経験があるからこそだと思う。
孤独を味わった人だけが知っている、この「心に触れる、触れられる感覚」。
そうしたものが、つながりの中で一番大切なものだと実感した。
人の心って、そう簡単には触れられない。
触れようとして触れられるものでもない。
私は彼女の一言に、また自分に限局して「自分が孤独」と内側で閉じている自分を客観的に見させてもらった気になった。
そうだ。孤独を感じたとしても、土台はつながり合いがあるはず。
本質的につながりを知っているから、孤独を感じるんだよね。
彼女のセッションは、私の勝手な解釈になるけれど、
”大人はだれもが子どものこころを持って大人になる。
その子どものこころが取り残されているとき、心になにか揺れが起きる。
そんなときは子どものこころに戻ってその感情を迎えにいって、自分に起きていることをひも解いていく。”
だから彼女は人の心に寄り添える感覚がすごく繊細。
その人の気持ちを細やかに言葉に置き換えられる。
だから、彼女の言葉を聞いていると、心に整理がついてくる。
彼女がセッションを始めたら、このブログでも紹介していきたい。


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