母親は重要でありがたいけど、やっぱり要注意

見えてくる世界

自分の現実は、自分の意識が創り出している。
それを重々承知している。
ただ一方で、母親は、ほんとうに人の根源に関わる存在だと思う。
そんな母親も自分の意識が創り出しているのだろうし、そういう母を選んで生まれてきているのもわかっている。

一方で、母からものすごく強い意識の影響を受けていることも、全身全霊で感じる。

母はよく私や私の子どもの心配をする。
体調のこと、生活面のこと、私は母にそんなに詳しく話していないのに、
なにかにつけ、あれこれ考えているようだ。

このことに関連することが、今朝寝ているとき、ふっと意識に上ってきた。
とても大切なことだから、ここに書いておこうと思う。

私はちょっと久しぶりに英語の勉強を再開して、このところ空き時間にテキストを開いたりイヤホンで聴いたりしている。

英語が好きだということは母も知っていて、それを仕事で使う状況にない私のことを母は、

「全く生かされて無いのはとても残念。宝の持ち腐れで とても勿体無いと思う。」

とLINEに書いてきた。

それを読んで、「確かに生かせていないかも、持ち腐らせているとしたら、私が私にしているってことね」と返事を書いた。

実は、こんなふうなことを過去、幾度となく母に言われてきた。
病気していなかったら〇〇してたかもしれないのにね
〇〇(=私)が男に生まれてたら、どんどん仕事していたかもしれないわね
本当にもったいないと思うわ・・・

こうした母からの言葉を、私の状況を分かって寄り添ってもらっているように思う反面、
母の言う、病気したから〇〇していない現在の私や、女で妻で母親だからどんどん仕事できなかった私を、その場のその時々で一生懸命がんばってきたけれど「最終的には、何かを達成していない自分」に置き換えて、なにか自分を憐れむような気持ちになった。

同じことを、この50代半ばでまだ言われている。

すごく違和感を感じた。

これって、母が母自身にすごく高い理想を課していたんじゃないだろうか。
それが母を「完璧な良妻賢母」に見せていたのかもしれない。

母は、完璧な良妻賢母になりたかったんだろうか。
あの父を前にして、そうするしかなかった、というのが「外側の理由」だとしても。
好きだったピアノ。あまり自分のことを話さない母は子どものとき、のど自慢で演奏したと聞いた。そのピアノをもっと楽しんで弾けるようになりたかったとか、母なりに望みはなかったんだろうか。

母のことを聞くことはないけれど、そうして母は、「母の理想」を私に投影している

母は、父の暴言や傲慢な態度に無抵抗に応じて暮らしてきた。
その父は2年前に他界した。

いつも完璧に家事をこなしていて、睡眠不足でも家族の一番最後にお風呂に入り、遠い学校に通う子どもたちにお弁当を作り、駅まで車で送るために誰よりも早く起きていた。

飼っていたワン子のお世話も、忙しい家族に代わりちゃんとしていた。
嫌な顔ひとつせず毎日朝夕ちゃんと散歩し、丁寧にご飯も別に作ってあげていた。

母は私に、勉強しなさいとか、家事を手伝いなさいなどは一切言ってきたことはなかった。
ただ、成績が良くても、学校で何かに選ばれても、バンドでライブをしても、関心を寄せたり褒めることもなかった。

5を取って当たり前だと思っていた、と大人になってから聞いた。

いつも変わらず穏やかな態度だった。そんな言動に安心を感じた。
一方私は母に、自分のことーその日起きたこと、勉強のことや友だちのこと、体の変化、進学のこと、付き合っている彼のことーそういう日常の些細な楽しかったこと、悩んでいたことを、一切話さなかった。

なぜかを深く考えていなかったけれど、
今思うと、「分かってもらえない」気がしていたんだと思う。

本当は学校をさぼっている私、人といたいのに人といると生きづらさを感じて全く勉強に手が付かない私、寂しくて一人じゃいられないから付き合っている人に頼っている私。

そんな「ちゃんとしていない」私を、母は受け入れてくれそうにない。
そんな気持ちを言語化していなかったとしても、10代の私はそう感じていたんだろうと思う。

それくらい母は「完璧」だった。

そして、完璧な理想を、娘の私に無意識に向けていた。ずっと。幼い頃から中年になった今に至るまで。

「〇〇出来ていない」という意識=現状じゃダメ、ありのままじゃダメとの、強力な意識。

私の才能を発揮してほしいと願うことは、今私は発揮していない、発揮していないとダメだと否定してること。

以前母は、私の息子のことも、「覇気がない。20代の若者らしく、もっと元気に話せばいいのに」と言った。その話題を私はそれ以上聞きたくなかったから拡大させなかった。

それは、息子は、覇気が無くてダメだ、と聞こえたから。

母は息子の内面を感じ取っていないと思ったし、
なにより、人のことをめちゃくちゃ主観でダメ出ししていると思った。

母はよく主観で身近な人を否定する。軽いタッチで。「ダメね」と言わないけれど、20代の若者像という理想があって、それと比べてそうなっていないところを拾っては一言言いたくなるようだ。

覇気がなくて元気がない、と思ったなら、本人に「元気ないように見えるけれど、なにかあった?もし気になることがあったら、ばあばで良かったら話し聞くよ」とか言えたらいいけれど、母の息子への意識は彼の内面を知って安心させたいとか、そういうことに向けられてはいない。

そうした言葉は全て、母が自分自身を否定していることから来ている。

母自身が覇気がなくて、才能を発揮してない、宝の持ち腐れ、と思っているけれど自分をなんとか発揮させようとしてこなかった。だから娘や孫にそんな理想を向け、その理想とギャップがあると感じ、覇気がない、才能を発揮してない、と私たちを否定して見ている。

そんな強い意識を私と息子に向けて、私たちをダメにしているということもある。

母はよく私たちを心配する。これはほんとうに厄介。心配する通りになるから。
心配は強烈な意識。強い思いは現実化する。

その母はパーキンソン病だ。

心配は、どんどんその人を不幸にするから、心配しないでね。
上のことを率直に母にLINEした。

自分のことを幸せにすることだけを考えて。

だって、自分のことしか変えることはできないから。

母の意識を感じとって、無自覚に受け入れていた。
それを改めて気が付いたから、もうここできっぱりやめる。

「選択の責任」が引けていなかった。私の心のエリアに入らせていた。
ここが一番私が困難なところ。つい、相手の意識を感じると寄せたり受け入れたりしてしまう。

なにか違和感感じたとき、それは私の意識なのか相手の意識なのか。
そんなことを改めて感じた。

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