母の冷蔵庫と、溜めたり捨てられなかったり

見えてくる世界

母の冷蔵庫。

一人暮らしになっても冷凍庫までびっしり物が詰まっている。

実家に暮らしていたときは5人家族だったから、毎日の食事のために母は大量に食品を買いに行き、冷蔵庫の中はいつもいっぱいになっていた。

物を蓄えておいて、何か不足がないようにと常に気を配ってきたんだろう。
子どもたちは育ち盛りだったし、父の食事の好みに応えるのも大変だったと聞いた。

今は体が不自由になったから自由に買い物に行けないという理由も重なって、食品が溢れている。
整理整頓はされて清潔だけれど、体が不自由だから古くて使わなくなった食器や調理道具類が処分できない。
そんな古物たちがキッチンの棚に整然としまわれ、普段使いのものはキッチンの上に出ていて、いつでも使えるようにしてある。

調理スペースが狭くなって、不自由なところをさらに不自由に暮らしているように見えてしまう。

でもこうやって、不自由な体でもできるかぎり自分の力で生活しようとしている健気さを感じる。

ただ、不自由になったから物が捨てられない、というのはちょっと違って、
自由なときから捨てられなかったんだろう、というのが真実だと私は思っている。

私は逆に、冷蔵庫が物で詰まっていると落ち着かない。
「これで料理しなさい」と強制されているような気になる。
だいたい数日おきにちょこっと買ってその日に料理に使うから、どちらかというと冷蔵庫はがらがらだ。

わが家は物が少ないほうだと思う。リビングは割とがらんとしている。

お金の多寡にかかわらず、今の私は生活の負荷や不安が少ないのだろう。

不安だと、何かで不安を埋めようとするのは自然なことだと思う。
知らないと不安だから調べたり勉強したりするし、
物価が上がって不安だから貯金もする。

ただ、この「不安」の正体がはっきりしていないとき、
物が捨てられないし、溜めこんでしまうんじゃないかと思う。

昔から持っているものを捨てられないってないですか?

私は最近になって、この30年間に行った国内外の美術展の、気に入った絵のポストカードを一気に捨てた。
去年まで着ていた洋服も捨てた。

子どもの絵本や洋服、おもちゃや使っていた道具は、捨てずにまだ残っているものがある。

出掛けた先で寄った公園のパンフレットやチケットを、すぐに捨てられなかった。
そのときの自分の気持ちが残っているからかな。

ただ、父が亡くなって思う。
実家に残されたものはほどんど父が買ったり飾ったりしていたもの。
それを一つも処分することなく、持ち主は逝ってしまった。
あれをこの先私たちが処分することになる。
そう思うと、やっぱり残した家族に負担をかけたくない。だから生きているうちに自分の私物の行き先を考えたり処分したりしておこうと思う。

ちなみに、ドラマなんかで出てくる部屋って、すごく物が溢れているなと思ったりする。
ドラマだからちょっとこじゃれた感じにコーディネートするんだろうけれど、必要な家具も装飾品もびっしりと部屋の面積を埋めている感じがして、余白が少なくて息がしにくい感じがする。

物が捨てられないことが病的に症状化している方の記事を、今週、新聞で特集していた。
買い物をしてストレスを発散していたら、欲しいかどうか分からないけれど買い続けて、未開封品がたくさん溜まっていき、部屋の床どころか、天井近くにどんどん物が積みあがっていく。カード払いが重なって経済的にも苦しくなる。日用生活品もゴミも、同じように溜まっていく。

同じ会社に勤めていた人にすごくお金持ちの女性がいた。
彼女のデスクの上のペン立ては、何色もの色ペンでぎっちぎちに詰まっていた。
見ていてお腹いっぱいになりそうだった。

事務仕事でそんなカラフルなペンを使うのかは分からない。

皆んなそれぞれ、心に何かを抱えて生活している。
漠然とした不安。だから持っていて安心。捨てられず行き詰まってしまう。

「片付ける」って、自分の意識を理解したり整理したりして、現実的に選択することなんだろうね。
これは必要なのか、不要なのか。実際的なことと心の面との両方にとって自分に問い合わせる。

だから、他の誰かが片付けられない状況を見て、自分の価値観で正誤はつけられない。

物を抱えこんでしまうことって、お金を貯め込んでしまうことと一緒かもね。
不安だから貯める。貯め込んで出さない。循環しないからお金が生きない。
物もそうだよね。
貯め込んで使わないで部屋に積んだり溜めたりしているだけだと、せっかくの価値がないよね。

これってまさに、私のことだったんだよね。

いろんなことを学んで、たくさん蓄積してる。自分にじゅうぶん根付いていると思う。
でもこれをなかなかアウトプットできなかった。
周りに伝えて、貢献のフェーズにいきたいって、思うだけの時間がとても長かった。

このとき、私は何を捨てたのかなと振り返るとね。
「情報」を捨てたんだ。
意図的に、外側からの情報を遮断した。
購読していたメルマガ、登録していた公式LINE、誰かのブログやYouTube。
一度、静かにしてみたんだよね。交通整理していたつもりだったけど、常に何かを受信して流れてきたものに触れていると、自分が一人になれる時間、素の時間がない気がして、どんどん落ち着かなくなっていった。
思い切って情報を止めてみたら、心が静かになって、水が澄んでいくようにクリアになっていった。

あなたはどう?何をあると安心していられる?
何を捨てるとクリアになれそう?
断捨離そのものよりも、自分の本心に触れて、内なるエネルギーを流してあげることが一番必要なことかもしれないね。

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