母親が振り向きざまに転んで骨折したと、家族のLINEに連絡が入った。
みんなが心配するだろうから言わなかったけれど、数日間に転んで、今日やっと病院に行ってレントゲンを撮ってもらった。2本折れていた。でも痛み止めもらったからだいじょうぶよ。
こんなとき、すごく心配になってすぐ休みを取り、実家に駆け付けていた。
助けに行かないと!と使命感のように居ても立ってもいられなくなるのだ。
その日、歌の発表会に備えて一人でカラオケに行って練習しようと思っていた。
けれど、母親のことを思うと、歌いに行くなんて大ハズレに感じてたまらなくなった。
すさまじい勢いで罪悪感が真正面から襲ってくる。
感情にのまれて、歌う気がだんだん薄れていく。
なんなら呼吸までできなくなって、自滅してしまいそう。
母に何かがあると、一瞬でわたしとわたしの接続が切れる。
これがこれまでの、いつもの私のパターンだった。
でも今回は、一報が入る前のじぶんの気持ちを思い起こしてみた。歌って気分を解放したかった。
今はその気持ちとかけ離れてしまったけれど、最初の想いのまま歌いにいく!と誓って、場違い感を両肩に重たくまといながら店に入った。
何曲目かを歌っているとき、母への想いが薄い胸郭を目いっぱい押し上げてきて、泣けてきた。
マイク越しに、おろおろとした声がエコーで拾われる。
母が大変なときに駆け付けられないなんて。
息苦しさったらない自罰感情。
いや、ちょっと待って。
じぶんを大事にすることは、母を想うことと等価だ。
わたしを大切にすることは、母を大切にすること。
母を助けてあげなきゃ、は思い込みで、母は「なんとかやれてるし、大丈夫だからね」と言っていた。
本当に、その「大丈夫」を見たい。
このキツい思いの向こう側に行きたい。
不適切感を乗り越えて歌いに来たんだから、歌う自分をちゃんと感じよう。
切り替えて、自分の体をちゃんと響かせよう、そう思った。
ソロ・カラオケやってて、何を一人で泣いたりごちゃごちゃやってんのかしらね。
でも、この「感情の絶頂にいて、意識を切り替える」なんて、生まれて初めてやった。
この、苦しみの絶頂を超えて、その先に立つ。
この感情の渦中にいて、ぴしりと意志を決めたことも初めてだった。
それでやっとわかった。
罪悪感なんて、妄想あるいは幻想なんだって。
頭では分かってた。
やっと体で分かった。
それで数日は平気だったのに、今日。仕事の合間にふと、母を思い出してまた胸が苦しくなった。
なんで辛くなってるんだろう?
行かない罪悪感は消えたはずなのに。
・・・
・・・あ、そうか。私、お母さんがまた骨折して体痛めてること、人の当たり前の気持ちとして、心を痛めているんだ!
そう気づいたら、また涙が出てきた。
わたしがわたしの感情を救ってあげられた瞬間だった。
ホッとした。実家に行かなかったけれど、わたしは冷たい人間じゃないってことを、感情で分かって。
罪悪感が抜けたら、自罰感情でぶ厚く塗りたくられて見えなくされていた細やかな気持ちが、降りてくるようになってきた。
そして母にLINEした。
お母さん、具体はどう?お母さんが骨折して体痛めて、私も心が痛むよ。
母から返事。
ご心配をかけています。痛みは大分 よくなったよ。


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