その優しさ、届いていないかもしれません

こころとからだ

目の前で友人が、自分のネガティブな捉え方を責めて「自分はダメだ」と落ち込んでいる。
そんな姿を見れば誰だって励ましたくなるし、勇気づけたくもなる。

相手を思う気持ちから、こんなふうに声をかけます。

「自分の捉え方を、善い悪いで判断しなくていいんじゃないかな」

その言葉には、ただ「少しでも楽になってほしい」という思いが込められています。 けれど、受け取る側が「上から言われたように感じる」と受け止めてしまうこともあります。

善意で伝えた言葉が、善意として届かないのはなぜなんでしょうか?
相手に伝わることの背景について考えてみたいと思います。

姿勢が伝えてしまうもの

話すとき、自分がどんな姿勢でいるか意識したことはあるでしょうか。
ここでいう姿勢は「正しい・正しくない」といったものではなく、体の向きや力の入り方といった、もっとささやかな状態のことです。

もしその姿勢が相手の受け取り方に影響しているとしたら、 同じ言葉を伝えていても、姿勢の違いによって相手の印象は大きく変わってしまいます。

たとえば、

  • 前のめりになって  「自分の捉え方を善い悪いで判断しなくていいんじゃないかな」と伝える
  • 椅子の背もたれにゆったり寄りかかって  「自分の捉え方を善い悪いで判断しなくていいんじゃないかな」と伝える

前のめりの姿勢は、意識が相手に向かってぐっと近づいている感覚です。 その“近づかれ感”が、相手には”必要以上に迫られている”と感じることがあります。

一方で、背もたれに預けて話す姿勢ではどうでしょうか。
意識が自分の内側にちゃんと留まっていて、落ち着いて気持ちを伝えているという自己感覚がありませんか? そのゆるやかさが、相手にも自然と伝わっていく感じです。

会話しているとつい話に夢中になって、自分の姿勢を感じるなんて思いもよらないことだけれど、姿勢は意識がどこに向いているかをそのまま映し出す、相手側から見えるあなたの”意識の画像”なんです。
相手に向きすぎると、せっかくのあたたかい気持ちが、うまく届かなくなることがあるのです。

お互いに、信頼し合える仲だからこそ心の内側を話しているはずなのに、とてもざんねんなことですよね。

「いま、どんな姿勢で話してる?」

もし、思いやりが思ったように伝わらないと感じる場面があるなら、 言葉より先に、そっと自分の姿勢に目を向けてみることが役に立ちます。

普段は特に気にせずとっさに言葉を返してしまうかもしれないけれど、 ふと「いま、自分はどんな姿勢でいるんだろう」と体に意識を戻せたら、その瞬間、意識は自分に向き直ります。

そんな『自分中心感覚』から言葉を発すれば、内側にあるあなたの純粋なあたたかな善意は、一生懸命伝えようとしなくても、自然に相手に届けられます。

言葉+姿勢で、自分の中心に意識を感じていましょう。

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