つっかえている心の向こう側に立とう

潜在意識

今年もあと3週間とちょっと。
年末に向けて、思うことはなんでしょうか。

あれをやった、これもやった
あれもやってない、これもやってない・・・

そうしたいと思っていたことのうち、実際に行動して実現させたこと
これが一番感情と体の記憶として鮮明だし、心の栄養と自信になっていませんか。

行動するということは、「こうする」「こうしたい」という意志があったからであって、
その意志を持ったのは「感情が動いた」ことに他ならないと思うのです。

セッションをやっていて、クライアントさんから感情が出てこないと感じることがあります。

出来事が起きたとき、どんな気持ちでしたか?と尋ねると、「〇〇だと思って、そう思われているんだな~と思いました」と、頭での考えが返ってくることがあります。

先日の記事で、老齢の母親が転倒して再び骨折し、その連絡を受けた瞬間、「母の元へ行かなきゃ」と発想してしまったこと。それは「思い込み」だと頭で分かっていながら、その事柄にどうしようもなく心がつかまれていたところを、感情が湧き上がり、意志で乗り越えた話しを書きました。

自分としては、死に物狂いで乗り越えたのですが、乗り越えたあと、母親の状況に一切動じなくなった自分を感じるようになりました。

それ以前に、母親のことを思い出さなくなったんですね。

LINEで日々、安否確認のメッセージが送られてくるのですが、LINEの不具合でメッセージが2日間送られてこなかったとき、送られてこないことに気付いていませんでした。

わたしの心がわたしの内側にいて、内側に向き始めたのですね。

母親のことで、思い込みの向こう側に立つことができた感覚は、とても大きな実体験となりました。こんなにも平穏に忘れていられるようになるとは。

しかも、忘れることに罪悪感を持たなくなっている。

そして、電話がかかってきたときに、心がとても軽いのです。
だから、母の話しも軽く聞けるし、じぶん事として捉えているようなところがあったけれど、母の感情は母のもの、母の状態は母のもの。そんなふうに心に自分のエリアがある感覚で聞ける自分を感じることが、驚きと喜びでもあります。

そうやって、穏やかに話ができると、母親もまた喜びを感じるようで、話しが軽く弾むのですね。

意識が先。現象はあと。ほんとうにそうなんですよね。

「あれをやっていない」「これをやっていない」ことよりも、心に残している澱を取り除くと意図して自分なりに必死に越えてみると、その場所がぽっかり空いて、今までなんだったんだろう・・と思えるようになります。

そして目の前が明るく開け、自己に自己が根差した感覚が感じられると思います。

今年の大みそかを迎えるまでに、もしなにか、心につっかえているものがあったら、自分の心のやり残しを越えたその先に立って、新しい年を迎えませんか?

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