人に頼られたとき、胸の奥がなんとなくモヤっとしたり、わさわさしたりすることがある。
頭では「頼られるのは悪いことじゃない」とわかっているけど、心がついてこない。
その違和感は、決して、あなたが優しくないからでも、心が狭いからでもない。
誰かが「自分に甘えることを許可した」と言いながら、その甘えをあなたに向けてくるとき、
まるでこんな方程式を押しつけられているように感じることないですか?
「私はできない → 甘えることを許可する → だからあなたがやってくれるよね」
言葉にされていなくても、空気で伝わってくることがある。
そしてあなたは優しいから、つい受け止めてしまう。
でも、そのとき心がざわつくのは、あなたが冷たいからじゃなくて、
“あなたの役割じゃないもの”を背負わされているから。
本当はあなたの中に、こんな声があるはず。
「頼りたいなら、ちゃんと私に“お願い”って言ってほしい」
相手が自分に甘えることを許可するのは自由。
でも、それを受け止めるかどうかは、あなたが選ぶこと。
あなたの心がざわつくのは、相手の“許可”が、あなたの“犠牲”にすり替わったからかもしれない。
優しい人ほど、相手の気持ちを察して先回りしてしまう。
「私がやっておくね」とつい言ってしまう。
それを続けると、あなたの羽が一本ずつ抜けていくように、あなたは疲れてしまう。
だからこそ、こう言っていい。
「私も、自分に無理させるのをやめたんだ」
これだけで、人間関係は驚くほど軽くなる。
相手の願望を先回りして背負わなくていい、っていう許可を、あなたがあなたにしたから。
本当の“自分に許可する”って、誰かを巻き込んで成立するものじゃない。
「私が決めて、私がやる」っていう、すごくシンプルで軽やかな自己完結の感覚なんだ。
だから、もし誰かの甘えがあなたに向けられたときに心がざわついたなら、
それはあなたの感性が正しく働いている証拠。
あなたは今、自分の境界線に気づき始めたんだね。


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