ああ、なんてことだろう!1カ月もブログを投稿していなかったんだ・・・
このひと月、毎日毎日、自他の内的変化をダイナミックに目の当たりにしてきた。人というのは、本当に、それぞれの目的を果たすために、その肉体を必然的に持って、この世に生まれてきているんだなと思う。
これまで、目の前の人に対して感じたことを、相手を見て、私はその人に「与える」ことをしていたと分かった。またはそれを分かち合いたくて、相手の懐に自ら入っていた。相手からはそんな私の気持ちに対する同質な気持ちは返ってこないのに、さらにもう一段同調のレベルを上げ、結果的に自分を低めていた。自覚していたけれど、そこを直せないで悩んできた。
セッション中、相手の方が、自分の潜在意識のプールに潜りだし、深い底にタッチした感覚を持つまでに至る、地図なき道程。霞んだ水中に明かりを照らして導くのが私の役割だ。
そして、分かった。タッチした後に「あああ!」と思わず声を上げ、しばらく絶句し、現れてきたものを現実の自分と照合している姿。それがともかく尊い。毎回、鳥肌が立つ。潜在意識に触れることで、目の前に現れている出来事を自ら創り出していることを知るという、その電撃的な体験をしている、その姿に。
このひと月で、私は大転換した。
相手のひととなりを見ているのではなくて、魂を見ている感覚に変わってきたこと。
ただ、相手を感じているだけでよくなってきたから、話もよく頭に入ってくるようになってきた。
私はいつもここにいて、この場所から一つ一つの魂に触れている感じがする。
そして、その人の魂の、感情が揺れるところや湧きだすところ、明るく弾んだようになるところを私がキャッチし、それに反応する形で導いている。
不思議なんだけれど、相手も私の魂を引き出しているようにも感じる。
相手を感じる今の自分を感じたままに言葉を発する。それが結果として潜在意識へといざなう形になるんだ。なんだか愛と感謝に尽きる感覚。そうすると、相手からも愛と感謝が返ってくるんだ。
セッションて、相互作用、相互関係の上にあるものなのかもしれない。
さっきトイレを掃除している最中に、私のメンターの先生が言った、他者から愛を受け取ろうとしていることが間違い、ベクトルが違う、という言葉をふいに思い出した。
その意味が、今感じていることと符合して、突然パーーーっと広がり、内面が満ちて満ち溢れて、全身全霊で理解した。
涙があふれた。
トイレには強力な神さまがいるって、本当ね・・・なんて独り言を言って、笑った。
1カ月前とはまったく違う世界に、私は今、いるようだ。