「ある」と意識を向けると感謝の存在になる

日常の気づき

感謝日記を付けて、今目の前にあるもの・ことに目を向ける意識のクセをつけていたことがあった。

自分には「〇〇がない」ばっかり考えているけれど、こうして見渡してみると、机の上にごちゃごちゃと載っている文房具類はすべて自分が買ったものだ。

食事だって、生姜焼きを食べたいと思ったら、豚のロース肉を買ってきて、お醤油とお酒とみりんとショウガ汁に付けて焼けば食べられる。

今日は寒かった・・・。暖まって寝たい。アツアツのお風呂に入ったら「ない」ことなんて忘れてしまう、至福のとき。

そう。私の周りには「ある」があふれてる。
物質的に「有る」で満たされていると、モノを物と見なくなって、それこそごちゃごちゃしたものに囲まれれているような、私が所有者なんだってことすら意識しなくなっていく。

百均で買った方眼ノート。これはお気に入り。あと、0.5mmのブレないボールペン。水性のヤツより好きだ。
友だちが贈ってくれた4色ペンはとっておきの特別だから。

そうそう、エンディングノートまで売っていて、いつか書いておこうと思っていたから買った。

こうした細やかで身近な物ほど所有してる感覚が希薄になる。
あってもなくても困らないものとか、
すぐ代わりのものが手に入るとか、
そういう感覚になると、ものを「ある」と見なさなくなるのかもしれない。
車を「所有している」感覚がない人はいないだろう。

だから細かなものを「ある」と認識すると、まったく違う存在に思えてくる。

つまり「ある」は感じること。
そう。「ああ、あるなぁ~」と思って、ひとつひとつの消しゴムや絵ハガキに意識を向けると、感謝の気持ちが湧いてくる。

私のジャーナリングをしたためてくれる。
私の日常に彩りを添えてくれている。
私の探求や勉強に付き合ってくれている。

私の営みを支えてくれていることに感謝。

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