自分軸とは感じるもの

こころとからだ

ここじゃないどこかに、もっと自分にぴったりの場所があるんじゃないか。 そんなふうに思って外へ答えを探しに行くことは、誰にでもある。

それは、子どもの頃に「もっと見てほしい」「もっと構ってほしい」と願った気持ちが、心の奥に残っているからかもしれない。 でも、それは決してだめなことじゃない。むしろ、それだけ幼かった心が愛を求めて一生懸命だった証拠だ。

本当に満たされているとき、人は自然と「ここが好き」「ここでいい」と感じられる。
だから、ただそれが叶わなかっただけ。

「他人軸だよ」「自分軸じゃないよ」なんて言われると、余計に苦しくなる。
自分だって、なぜ焦っているのか、何かに急き立てられるように、ここにこのままいてはいけない気持ちで飽和していたたまれないのが自分でも理由不明で苦しい。
好きで迷っているわけじゃないんだ。

じゃあ、自分軸ってなんだろう。 どういう状態が“自分でいる”ってことなんだろう。

そんなふうに考え始めると、また外側の基準に合わせようとしてしまって、心は疲れるだけ。
だから、そんなときはそっと体に意識を戻してみる。

今、自分が立っている場所。 オフィスのキャビネットの前でも、帰り道の地下鉄でも、自宅のキッチンでもいい。

足裏が大地をしっかりと捉えている感覚。 自分という存在が、ここに根を張っている感覚。

その“体の感覚”こそが、自分軸。

普段は考えごとで頭がいっぱいで、自分の状態に気づく余裕なんてなかったかもしれない。
気づかないまま、十年、二十年と時間が過ぎてしまうことだってある。

でも、もし「今」気づけたのなら、それはあなたは”転換期”を迎えたのだと思う。
「時間がかかった・・」なんて、気づけなかった自分を責める必要なんてまったくない。

「ここじゃないどこか」を探してぼんやりしていた意識が、 ふっと「自分の足元」という確かな場所に戻ってきた瞬間。 それはつまり、自分自身に光が当たったということ。

体に意識が向いているとき、思考は自然と静かになる。
人は、感じることと思考することを同時にできないから。

だからこそ、今ここにいる自分を感じられた瞬間から、 あなたはもう、自分軸に戻り始めている。

だから、安心していいからね。
長い間苦しかった暁に、「今」気付いたんだから。
ほんとうに辛い時期をよく乗り越えてきたよ。

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