コーチとして、妻として。

感情と共感

夫の体調のことで、話し合った。

正確には、私が聞いたことに、彼が答えた。

夫は、何か満たされていないと感じるている?または自分の満足とはどんなこと?と問うた私に、
会社での立場を言及した。

幼い頃に感じていたこと、それを実現したこと、キャリアについて静かに語った。

そんな話を聞いたのは初めてだったから、聞きだせて、話してくれたことについて、私は彼の思っていたことが少しだけでも分かって安心し、少しだけ満足感を覚えた。

そのあと、こうしてPCに向かいブログを立ち上げると、あのときの会話をふと思い出した。

待って。

彼の満足の中に、家族や私っていた?

・・・

そうか。

さっき彼の話を聞いて多少満足した私は、妻として彼の話を直視していなかった。

私は「コーチ」だった。

そして今こうして個人的な捉え方をし直したとき、私は波を失ったバイタルのような気分でいる。

何か感情的にはっきりとは浮かばない。冷静、とも違う。

いや、まだ彼の心の海の中の、太陽の光が届くくらいの浅瀬に数分素潜りしただけだ。
彼自身が知らない広くて深い海の底に、一緒に潜れるタイミングは、まだ先。

たとえコーチとしても、厄介で重症なケースを前に、少々不準備のまま流れで潜水した果てに持ち帰った小さなヒトデの意味を、その形に探すように手のひらに乗せて見つめるようなもの。

でも私は家族として、まるで夫を尋問室のマジックミラーから覗き見したかのように、浅瀬とはいえ海から上がった体の皮膚の表面は、少し冷えた。

この先、内側の海に潜ることを彼は望むだろうか。
いや、私が一緒に潜ろうと思うだろうか。

このあと、自己感覚として思ったことがあった。

それは・・・

夫から家族に対して暖かい思いやりを感じられる一方で、情緒的ではなかったこと、
家族の話しを話さないことを、
もう、とっくに、当たり前化して聞いていられる「私」がいること。

私こそ、いつからこんなに鈍感に成り下がったのか。

普通の感覚なら、猛烈なショックを覚える場面で、なにが「コーチだった」だ。

そんな自分に愕然とする。

ヤバイのは自分だ。

心は死んだように一直線の凪でいるのに生きている。まるでゾンビじゃないか。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、2回まで送信できます

送信中です送信しました!