2026年、始動。

日常の気づき

明けましておめでとうございます。

1月も3日目。個人的には家族や友人の皆様ととっくに新年のご挨拶は済んでいましたが、昨年末より今日まで仕事し続けていたような、そんな年末年始となりました。

わたし自身は冬至からもう新しい年が幕を開け、気持ちを新たにしていたので、今年の元旦は特に感慨深い思いはなく、それでもお正月料理を家族と囲める幸せが当たり前ではなく、心からありがたくなりました。

今までは年末年始の支度であくせくしていたので、
こんな思いでお正月を迎えるのは初めてのことです。
これも、内面の思い込みがクリアになってきたからに違いありません。

皆さんはご親せきの集まりなど、いかがでしたでしょうか?
私はこれまで、兄の存在が苦手で仕方がありませんでした。

それは、幼い頃、兄にこっぴどくいじめられていたから。
決して妹思いの優しい兄、という人ではありません。
むしろ私は、兄に嫉妬されているのでは?と思っていました。
(もちろん、私の思い込みだと分かっていますが)

兄が実家のリビングに現れた時、顔を合わせるとやっぱり緊張しました。
でもそれは、「今までずっとそうだったから」という”慣性の法則”のような反応でもありました。

話し始めると「そうでもないな」と緩んで座っていられ、
兄も私のニットにスパンコールで縫い付けてあった熊を見て、「クマ?」と突っ込んだり。
かつて緊張状態で聞いていたせいで、ほとんど聞けていなかった兄の話を、
体感しながら聞いている自分を感じたんですね。

こうして「私は私が感じていることを感じている」状態はなんて安心なのでしょうか。

そして、眼の前の兄との関係は、私が「今、ここ」で感じている意識状態に応じた現実が展開されているとも感じました。

つまり、100%ポジティブでも、100%ネガティブでもないんですね。
二元性の世界ではなく、とてもミクロな世界(ポジティブは〇〇%、ネガティブは△△%というように)が表れているのを感じました。

こんなふうに自分の体感と対話していると、かつて兄に接して硬直していた頃より、
確実に兄の為人(ひととなり)を感じるのです。

『緊張させられる』と思っていた兄が、大好きな畑仕事の話を、時折伏目がちに、手元を見ながら話す、場を和ませるように語尾で笑う、そんな仕草から彼の心の細やかな部分を感じられる。

そんな為人に良いも悪いもなくて、その人を私が感じることが全て、なんですね。

兄をそんな他者と同じレベルでみられるようになれた。
心の錘を少しずつ解き放てた効用だ・・・。

潜在意識を軽くすることは、やっぱり自分の土台を作る大切なことだと、自分事で改めて実感したこととなりました。

人は、その人独自の世界観で生きているから、それを感じるだけでいいのですね。

その人と合う・合わないではなくて、ただ「違い」があるだけ。ただ、こうして集って話して笑ってうなづいている、この時間そのものを共有する。
それこそが愛であり、それだけでありがたく、幸せなのだな、と。

そんなふうに思うに至るまで、どんな思いを解き放ったのか。
そして今年は、どんな思いを解き放っていくのか。

きっと皆さんと共通した、私としては重たくてキツい思いではありました。
まだまだ、ふとした時に錘が解けることがありますので、
そんなことを整理してシェアしていく一年にしたいと思っています。

たくさんの気づきをどうぞご一緒ください。
本年もよろしくお願いいたします。

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