自分は普段どおり接しているだけなのに、
なぜか相手に責められてるような気持ちになることはありませんか?
何気ない一言に、
過剰にネガティブに反応したり
話している途中で遮ったり。
そのたびに胸がきゅっと縮こまって
突き放されているような感じがする。
まるで、存在そのものが拒絶されているよう。
その人は、こんな言い方していませんか?
「私がこうなったのは、あの人のせい」
「本当はこうしたかったのに、〇〇のせいでできなかった」
「誰も私のことを分かってくれない」
そんな相手を理解しようと、
「そうだったんだね」
「それは辛かったね」
と、共感しようとしても、
話すほどにお互いの不和が拡がっていく。
「私は〇〇するつもりだったのに、あの人がこうしたから、こうなった」
やがてその矛先がこっちに向かってくる。
「あなたが〇〇してくれなかったから、こうなってしまった」
・・・キツイ
そんな言葉は、翻訳するとこうなります。
「私は悪くない。〇〇のせいでこうなった」
「私は無力。だからもっと大切にしてほしい」
望まないことが起きたとき、
誰かがそれをなんとかするべきだ、
誰かが私を満たすべきだ、という前提。
内側の、強い“被害者意識”が見えてきます。
もちろん誰だって「すごいね」「ありがとう」と言われたい。
その気持ちは自然です。
それでも怒りや不満ばかりが前に出てくると、それを共有することはできません。
だからそんな時はただ、その人の意識を眺めてみてください。
「この人は今、そういう意識でいるんだな」と。
その瞬間、胸の緊張がほどけて、肩が落ち、呼吸がしやすくなって、
あなたは自分の体の感覚が戻ってきます。
それからは、無理に共感しようとせず、
ただ聞くだけにして、
自分の感情を守ることに意識を向けてみてください。
その人が怒っていても、その感情はその人のもの。巻き込まれない。
誰かを責めていても、加担しない。
私の場合ですが、相手を全く気にならなくなり、むしろその人から学んだことが「ありがたい」と思え、感謝の気持ちを持っていました。
そうしているうちに、少しずつその人は私に話しかけなくなり、やがて連絡も途絶えました。
私は何もしていません。
ただ、自分の世界を守っただけです。
その人が離れていったのは
私が“違い”を認めて
無理に関わろうとしなかったから。
拒絶ではなく、尊重。
相手の世界を否定せず
自分の世界を大切にしただけ。

もしあなたが今、誰かとの関係に疲れているなら、「違いを認める」ところから始めてみてください。
無理に理解しなくていい。
無理に共感しなくていい。
「あなたはそう感じているんですね。私はこう感じています」と認めるだけで、
苦手な人は、自然と離れていくことがあります。
自分を大切にすると、争わずに、
人間関係が収束に向かったりします。
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