目の前の人が私を見ていない理由|コミュニケーションのズレと意識の整え方

本当のコミュニケーション

今日は歌のレッスンを通じて感じたことを綴っていきます。

一曲とおして歌ったあと、先生に言われました。

「もっと歌詞に具体性を持って、誰に届けたいのか考えてみて。何を届けたいのかも。」

え、歌詞ってそんなに考えるもんなの?って思ったけど、これがけっこう深い。

うまく歌うとかじゃなくて、歌詞を絵のように描く。言葉に風景を浮かべて、イメージを紡ぐ。そうすると、伝わり方が変わる。

なるほどな~って、それって、歌だけじゃなくて、話すことや書くことにも通じるな…と、とても心に響いたんですよね。

そして、少し前にあった出来事を思い出しました。

カフェで友達とお茶したとき。目の前の人が、私に向かって話してるんだけど、話の内容はここにいない誰かのこと。元夫とか、職場の人とか、SNSで見た誰かとか。

話しの中味は問題ない。ただ、その人の意識は、遠くに飛んでいて、目の前の私はちょっと置いてけぼり。私は聞いてるけど、向こうは私を見ていないし、感じていないみたい。なんだか、空気か観葉植物になったみたいでした。

でね、歌も似てるなと思ったんです。

「悲しい気持ちで歌うより、歌詞をイメージしながら歌うと、それが自然と声に出ますよ」って先生が言っていて。

感情と感覚って、実は真逆です。

悲しい歌をずっと悲しい気持ちで歌い続けるのって、難しい。だから、あえて淡々と歌ったり、ちょっと明るく歌ってみたりする。そうすると、歌詞の情景がふわっと浮かび上がってくる。感情にどっぷり浸かるより、感覚で描く方が、聴き手に伝わることがある。

だから、今ここにいない誰かの話を、感情たっぷりに話してるときって、目の前の人を感じられなくなっちゃうんですよね。意識は過去にいる。その感情は、その過去に取り残され、現在に持ち越されたものだから。

そして、「今ここに意識を向ける」っていう言葉についても、あらためて考えてみるとね。

私にとっての「今、ここ」は、まず自分を感じること。 座っている椅子の感触、手にしているコーヒーのあたたかさ、そして目の前の人に向き合っている私の、弾むような気持ち。

そうやって、自分の感情と感覚をちゃんと感じていると、相手のことも自然に、無理なく受け取れる気がします。

自分を感じることが、相手を感じるための土台になる

だからこそ、「誰に届けたいのか」「何を届けたいのか」を考えることって、 自分の意識の向け方を整えることそのものじゃないかなって思うんです。

あなたは今、誰に、何を届けたいですか?

もしよかったら、その人に会う前に、ちょっとだけ考えてみてください。

その問いに、一枚の絵のイメージが思い描けたなら、 あなたの言葉や声はきっと、まっすぐに届いていくはずです。

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