父方の親戚の姉妹を苦手に思っていた。
子どもの頃にほんの数回、行き来があったと思う。姉妹が私の実家に二人だけで遊びに来たときはお正月だった。
あれは高校の頃だったか・・・
家族と彼女たちとリビングに居るとき、階下に降りてきた父が自分の財布からおもむろに3万円ずつ抜きとり、「はい、お年玉。」と言って、全員の目の前で二人に手渡した。
二人は驚いた顔をして、少し狼狽しながら受け取った。
私は、父から3万円をもらったことがなかったから、その様子を見てそれこそ驚いたし、裏切られたような、蔑まれたような気持ちになったのを覚えている。
父は、高校生には高額と思える金額を、家族全員が見ている前で自分の姉の娘たちに渡すことで、父が信じていた、自己の社会的な成功のようなものを誇示したかったのかもしれない。家族に、そして、間接的に、姉に。
そうした自己顕示的な態度が、その場に居る全員に尊大な振る舞いに映ること、そして、人間性の評価として自分に返ってくることを、父は想像できていなかった。
一方で、母は、父方の叔母たちへの不平をよく私にこぼした。実際叔母たちは、当時実家で同居していた祖母を巡り、首尾一貫しない行動を取り、なぜか子どもである私たちに、祖母を引き取るというような話をしてきたりした。
そしてそれを叔母は実行することなく、別の形に変わって終結した。
今、心理的にかつ大人の視座で思い返せば、父と叔母たちは自分たちで話し合いを持ったのだろうか、と思う。お年玉や祖母を介し、お互いの子供たちを巻き込む形は、なにか未発達な主張の方法だろう。
大人の事情は知らない。
ただ、大人たちの秘めた感情を敏感に感じ取っていた私は、叔母への不信感から親せきの女の子たちを少し疎ましく思う気持ちを持つようになり、父の転勤もあって行き来がなくなったまま、今に至る。
先日、過去を書き換えられたことを書いた。
本棚に、幼い頃に付けていた別の日記帳があって、自分がどんなことを書いていたのか確かめたくなり、数十年振りに開いてみた。
すると、その親せきの姉妹のことが書かれていた。
小学生の頃お正月に我が家を訪れた彼女たちと一緒に遊び、楽しんだ様子が書かれていて、驚いた。
何か急用ができて、もう一泊する予定を早く切り上げ帰ることになったと書かれている。私は明日も遊べると楽しみにしていて、とてもがっかりしていた。
なぜなら、男の子は意地悪するけど、女の子たちはしないから、と。
私は彼女たちと仲良くできて、嬉しかったんだ。
その感情や感覚を、大人たちの言動が歪めた。
その歪んだ感覚を、彼女たちに対する記憶として留めていたことを知った。
先日に続き、ネガティブな記憶の認識を新たにし、心の底の一部に据え付けられていた、大きな重たい石が取り除かれた気持ちになった。
自分にとって、これが真実だった。
私は素直に、彼女たちと遊んで楽しみ、交歓できていた・・・
そんなプラスの感情が日記から照射され、親せきの子たちへの葛藤の記憶は、幼いひと時を喜びで共有した暖かい気持ちに置き換わった。
真実は、父母、叔母たちの意識を取り込んでいただけ。
実は過去、何度かこの日記を読んできた。その時は今のように「プラスの感情を日記から受ける」とか感じなかったし、親せきの子たちと当時は遊んでいたんだな~、くらいにしか思ってこなかった。
なぜ今、今になって突然、受け止め方が変わったのか。
この約20年間、「感情」にずっと意識して、焦点を当ててきたからだ。
父の感情、叔母の感情、母の感情、祖母の感情。それをひとくくりにし、統合した視座で視ている私。ここに、私は「私の感情」を大人たちに染めてしまっていたようだ。
感情は、まぎれもない人の真意。良いも悪いもないけれど、こんなふうに幼い心には原因不明な状態で傷がついている。
そうであっても、自分の内側にちゃんと問い合わせて自分の心に入り込み、感情を見てあげると、どんなに時間が経っていても、過去の本当の自分を、見つけてあげることができる。
自分を癒し、更に、「な~んだ、ふつうに仲良くしてたじゃん!」と、大絶賛した。
ポジティブに置き換わると、おもしろいね、もうそんな記憶は精算され、消えてしまった。
感情にチャンネルを合わせていると、こんなふうに潜在意識下に沈み込んでいた負の記憶が次々浮かび上がってきて、現在の自分が「ポジティブな感情」で、本質に置き換えていく。