花粉症は花粉のせいなの?症状とダミーの原因

こころとからだ

今年の花粉の量はすさまじいみたいですね。皆さん花粉症で悩んでいますか?

私は夜中に目がかゆくてつい掻いては、ああ、瞼の腱が傷ついてたるむ!と悔やんでいますが、
理性が利かない体の反射に従うしかないです。

一方で、鼻と喉のアレルギー症状がなくなりました。
よしりん先生が提唱している「4毒抜き」を昨年から実践(甘いものは我慢せず、焼き芋や甘栗なんかは時々)していますが、花粉症状がなくなったと言っている方は多いみたいです。

小麦のグルテンが花粉のアレルギー症状を引き起こすと解説されていました。

アレルギーについて、医学的見地と共に意識の面からもとらえてみたいと思います。

本来無害なはずの食べ物や花粉、ハウスダスト、そういうものに、例えば小麦が免疫を狂わせて「過剰に反応」し、追い出そう!と防御反応を起こさせる、ということは、

例えば普段、人間関係で、世間的な常識や価値観、他人の願望を自分に取り込んでいるとか、
自分が受け入れられる分量や範囲を越えて、自分が外側の世界に入り込んでいるとか、

内面由来として、こんな理由もあるんじゃないか、と思っています。

花粉症の原因が小麦だとした場合、花粉は本丸の原因ではなく、ダミーだったわけです(私にはこれを検証できる術がないので、自分が4毒を抜いてみた実体感として、アレルギー症状が軽微になったということ)。

ただ、「小麦が悪い」ということではないんですよね。花粉も小麦も、存在してていい。

現実世界のことに当てはめると、世間的な常識や考え方はあるし、他人には他人の願望や欲求がある。

問題は、そういうものを、自分の受け容れられる分量や範囲を越えて、自分のエリアに入れてしまっているとか、

自分が、自分本来のものではない何かを捜しに、外側の世界に入り込んでいることなんじゃないのかな。

私には20代の頃から耳鳴りがあって、今、軽く難聴。グループの会合や仕事の会議の時に、数年前から補聴器をつけています。

私には、身に覚えがあるんですよ。

人の話ばかり聞いて、自分の内面の声(私は本当は嫌なの!)を抑えていたこと。
自分の「本音」を聴こうとしなかったこと。

今。どんな感情も受け入れられるようになった暁に、これが、耳鳴りと難聴の原因でもあったと理解したんですよね。

そして、眼。近視で乱視。
自分を見ないで、周りばかり見て(気を遣って)きた。
他人ばかり見ているけれど、本当はそうしたくないと思っていて、ちゃんと視覚を使っていない。だから、近く(自分)も遠く(他人)も見えない。

そして、リウマチ症状もある。痛みや腫れが出たり引いたりしています。
薬物療法は一切せず15年くらい。体に負担のない方法を、心理の先生に助けて頂きながら自分本来の力を信じてやってきました。症状は、心身のバロメータにもなっています。

リウマチは自己免疫疾患。自分の免疫が自分の関節を攻撃して炎症を起こしている。

自分は周囲と考え方や感じ方が違うな、と思いながらも合わせて頑張り、それでも適応しきれない自分を否定したり、
反作用的に外側に批判の目を向ける自分を嫌悪して、自分自身の欲求を抑えつけて、自分として生きることを封じ込めてきたからだと、今では納得しています。

常識的な考え方や、人によって感じ方の違いがあって当たり前ですよね。

それを、自分を抑えて周りに合わせよう、従おう、そうやって、認められようとするから、病気や症状に出るのであって、世間も自分もそのまま在っていい。

自分自身の「したいこと」や「思い・感情」を分かろうとしてこなかったから、「具体」が今もまだひどく苦手ですが(具体についてはまた別の記事で触れます)。

そんな自分に真正面から向き合うと決め、どんな自分もいいんだ、とやり続けたら、視界が開けた感じになって、眼が少し良く見えるようになったんです。駅のホームで、あれ?看板が読める・・って。

そして、聴こえも少し良くなって、会議で補聴器を付け忘れても聞こえる・・と感じる場面も。

症状は、現象化した内面。
人を感じ過ぎて気を取り込んでしまい、自分の感じ方が浅い状態だと感じると、もう生き心地が悪くて仕方ないです。

結局、自分を整えていれさえすればいい、というシンプルな解に行き着いています。

そんな状態に在り方が完全に書き換わったら、病気や症状は消えていくのだろうという気がしていて、それを自分の体で観測したいと思っています。

これは、この人生で希求する、永遠のプロセス。

一緒にやっていこうね。