歌のレッスンをし続けている理由の一つに、自分の声を追究したいということがある。
自然に歌う極地に到達したいのだ。
「極地に到達」と言っているが、それが目標なのだけれど、
「自然」とは、かくも難しいことなのかと思う。
歌を歌うための声というのがあって、
話すように歌うことが理想だけれど、話し声では歌えない。
そして、高音域を出せて初めて低音域が歌える。
だから発声練習で、五線譜を何音も超えた音域で、声帯を薄く引き伸ばして高音を出している。
ぎゃーぎゃー高声を出して、音階を下りていく。
そのとき。発声の最初(つまり、低音からの音階の上り)より、高音から低音に下がってきた下りのほうが、声が出しやすく、地声感が軽減する。つまり、上がりのときに、声の転換点を自覚するが、下りはそれがなくなり、音階が自然につながっていく。
声楽はポップスと比べて、相当高い音域まで発声練習で出す。
最近のポップスは本当に音が高いけれど、そもそもは低音域の曲。
そして私の勝負音は、低音ではなく高音。
私は高声。声楽で言えばソプラノ。
高音域が自分の声域なのに、低音域を上手く出せない、出したい、ミックスボイスを自在に操り、響きのある鳴りをきかせたい、と思っている。
そのわりに、ポップスを歌っていると、サビの音域が低いと感じ、何か不完全燃焼感が残る。
これって、自分はどこで勝負するのかが分かっていない、人生通じた私の勘違いとか思い込みの型だと思った。
自分を活かさない仕事をしていながら、「自分はぜんぜん経験が足りない」。
自分とコミュニケーションの仕方が違うメンバーの中で、「私は上手く話せない」。
自分の生息地ではない所で、そこで上手くできないから、そこをどうにかしないと、と悩んだり努力したりする。
出来るところ、活かすところを伸ばさず、いつまでもどこまでも「出来ない自分」を果てることなく追求し続ける。
鳥は空を飛ぶが、泳げるようになりたいと思うの?
自分が、当たり前にできていることに、気が付かなくちゃ。