コーチングで見つけた葛藤の正体ー忠誠心と罪悪感

見えてくる世界

心の学びを提唱している恩師Aさんの考えがものすごく響いて好きになり、実生活でも何度も救われたことがあって学び続けてきました。

今日は、私に大きな大きな影響を与えたAさんへの想いと葛藤を書いていきます。

その前に、私について少し書きします。父親が自己中心的に振る舞うので、母親は父親の要求に応えるために一生懸命でした。私たち兄妹も精一杯育ててくれました。けれど両親は、子どもを丁寧に見たり聞いたりできる精神的な度量はなかった。一方で、私は母親の心のケアをしてきました。それが両親の生活の安定につながっていました。大人になってからは、自分がどんな状況に置かれていようとも母親のために力と時間を注いだけれど、そのことで自分を傷付けているとは思っていませんでした。その傷を悪化させないために自分の感覚や感情を無視して、外に外に何かを求めるように生きていました。

Aさんの教えとの出会い

ある日、Aさんの本を書店で見つけました。「自分を愛する」ことを主軸に置く考えに、目が覚める思いがしました。

カウンセリングに通いました。今、私はどういう状態なのか。私の何が出来事を起こしているのか。それを伝えられました。そして、目の前の問題にどう対処するのか、とても細かく示してくださったのです。それをやることはとても怖かった。でも解決しなければ立ち行かない状況にもなっていたから恐る恐る実行し、実践しました。そして、目の前から唐突に、私の問題が消えゆくさまを目の当たりにしたのです。

でも私はその時、自分に奇跡のようなことが起こったとは感じられませんでした。それを神の仕業と思わず、問題が消えた現象の意味が分かりませんでした。

人は、自分で気が付き、納得したいもの。潜在意識の縛りが分かり、「あ!そういうことだったのか!」というAHA体験をしたわけではなかったから、私は内側がなかなか変われませんでした。そして、言われた教えをやったとしても、そのあとが上手くいかない。ずっと、しけたマッチみたいに、火が付いた!と思うと、ふ・・と消えるような、希望と失望が走馬灯のように廻り、同じ場所に居続けている不安感が常につきまとっていました。

自分のことが、分からなくなりました。
それがしだいに、Aさんが提唱しているんだからAさんの言ってることは正しい。Aさんは絶対的な真実。Aさんだけが答えを知っている、だからAさんのお話しを聞きにいかなきゃ私はダメになっちゃう!そんな感覚にすり替わっていきました。苦しいから変わりたくて学びに行っているのに、逆説的に、ものすごく苦しくなっていきました。

本来なら、その教えを学んで実生活に役立てたい。自分が自分らしく楽に生きたい。
そう望む理想の自分になるための手段なはずなのに。

いつから、どこから、目的と手段が逆転したのか。

コーチングで学んだ「大人の器と子どもの器」

誰しも大人の自分と子どもの自分が併存して生きています。
その「子どもの自分」の器が満たされていないとき、いえ、ほとんどの人が、満たされていない「子どもの器」を持ち合わせながら大人になっていますが、その器を大人になってからも満たそうとして、現実にいろんな問題として現れてくるものがあります。

これはコーチングで学んだことです。

それがわたしの場合、その方に対する「忠誠心」と「罪悪感」だったと分かりました。

Aさんの学びだけではどうしても自分の内面が解決されない・・・。依存しながらも、そんな異物感が胸の辺りにベタリと貼り付いているのを感じていながら、行くのが楽しみではなくなっているのに通い続けたのです。

自分がAさんに対して長らくそんな状態でいたことを、コーチングを学び始めてようやく気が付きました。

さかのぼって5カ月前のこと。コーチング講座に申し込む前、Aさんとは別のところに学びに行くことが、猛烈に申し訳ない気持ちになっていました。とてつもなくご法度なことに思えてなりませんでした。

Aさんの教えを学ぶことを止めるわけではないのに。

でもなぜか、平行して他のことを学ぼうと発想すると、自分の内側が諫めてくる。
「Aさんを裏切ることになるんじゃないの?」と。

宗教ぽい、と不穏に思われると思います。
私も、そう感じました。

こうした”内側の器が満たされていない”、つまりこれは「親に対して満たされなかった思い」と読み替えることができるのですが、そんな不足感があると、親代わりになる人を見つけ、その人に「認められたい」「愛されたい」と、自己無価値感を満たそうとする。そんな見立てが立ちます。

そして、コーチング講座の受講前面談で言われました。「その方は、自分のところ以外で学ぶことをダメだと言っているんですか?」

私はこの問いに、ものすごく衝撃を受けました。
いや、誰もそんなことを言っていない。
ただ私が、自主的に、主体的に、自分に「ダメだよ!」とストップをかけていただけ。

感情を抑えていた自分

Aさんに意見を言えない自分がいました。

Aさんの言い方は違和感感じる、ストレートじゃないからわかりにくい、答えになっていない感じがする、自分を否定された気持ちになる・・・などなどネガティブな思いがたくさん。
でもそれって私の理解が追い付いていないからだ、と自分をたしなめ、自分の感情を、ちゃんと湧いてきていた気持ちを無視して、抑えていたんですよね。

それにAさんにそんな気持ちを伝えるのが、怖かった。

心を受け止めてもらうのではなく、正されてしまうから。

そんな威圧感も覚えながら、対話にならない辛い問答が続きました。

グルコンでの気付き

そして今日、コーチング講座の最後のグルコンだったのですが、これがもう表現できないくらい、全てわたしに直結した質問ばかりだったのです。

「あッ!!・・・これ、あのことだ!」って。

怖いくらい。

その一つが「親を絶対視すること」。

親の作った世界の住人になっていて、共依存の関係を結ぶ。
親が満足すること、親の願望、そんなものを優先して選んでいく。
親からもらえなかったもの。それを求め続けているとき、そんな「絶対心」があるから、離れられない。

まさに、「Aさんに対する私」でした。

私は、Aさんに認められたかった。だからあの方の言っていることに疑問が湧こうが辛くなろうが、自分がまだまだ未熟なんだと受け取ってきました。

違和感感じても、何も言えなかった。

一方でAさんに少し褒められると、「認められた!」と思ってときめいて、パッとはれた気持ちになって喜んだり。

一挙手一投足に、勝手に振り回されていました。

Aさんはまったくそんな意図をしていなかったと思います。

グルコンのあと、ふと思ったのです。
どんなに尊敬していたって、合わない点、苦手な点、好きになれない点はあって当然だよ、って。
なのに、なんで「感情が一番大事だ」というモットーを私は主軸にしているのに、自分の気持ちをないがしろにするんだろう。人間なんだ、善いも悪いも感じてふつうだよ、当たり前じゃん、って。

Aさんこそ、もう常々言っていること。それは、

「自分の感情・感覚を基準に生きる」ということ。

コーチングでも、メンターが同じことを言っていました。

それがね、実感を持って、胸に飛び込んできた。光の速さでしゃー!と入り込んできた。

Aさんのことは、わたしの中で、ラスボス級に重篤な症状だったのです。

人生の「錘」=思い込み。

親からの洗脳。

とてつもなく特別な気付きを得られて、耳鳴りがキーンと尖って内耳に突き刺さるよう・・・脳が興奮している。でも今夜だけは、この脳内のノイズを、気付きの共振音として受け止めたいー。

記念すべき日にブログを読んでくれて、本当にありがとう・・・。

自分の内面の錘に気が付いて、生きる世界が変わっていく感覚を一緒に感じてもらえたらうれしいです。

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