利他は尽くす尽くす母ー子じゃない

言葉

こうして発信していって、このサイトにたどり着いてくれた方のお役に立てたらと、感じたことを徒然なるままに書いている。

一方、実生活では、人の役に立ちたい、と人間としての根源的な気持ちはあっても、私の「利他」の意識は、相当間違っていると思う。

それは、「尽くすこと」が基本OSになっているから。

尽くすって、自分がしんどくない度合いの山をはるかに越えて、相手のために、必要以上に背負ったり取り持ったり。いわば自分の半月分くらいの生活精力を使うものだから、尽くしたあと、相手から一定期間離れてしまいたくなるし、突き放したくなったりもする。

それを私は、自分はなんて悪い心を持ち合わせているんだろうって、ずーっと自責の念にかられていたんだよね。

こうして書いたら、分かってきた。
尽くすって、主体的な行為なはずだけど、なぜか最初から「犠牲」が必要なんだ。

親のためあの人のためあの子のため、って。

どの人もその時々で、とても大切な人。
なのにどうして、自分の羽をむしるようなことまでしなけれは、その人の役に立てないの?

人の役に立つことと犠牲が、セットになっている。
私の耳鳴りが、尽くす尽くす母ー子と鳴いている。
人に対して何かをするとき、生理的な反応でやるのをやめることだ。

利他って、相手に喜んでもらおう、楽しんでもらおう、少し勇気をもってもらおう、気持ちを軽くしてもらおう。そして、生きる喜びを感じてもらいたい。

きっとそんな、軽っとサラッとした感覚だよね。