モネ展にて:輪郭の喪失は境界線の消去

見えてくる世界

モネ展に行った。モネに会ったのは何年振りだろう。

今回モネを目の前にして感じたこと。それは、モチーフを決め、同じ対象を何年も何枚も書き続けた人間の、自己を探求するエネルギー。モネが晩年、描き続けた上の、その瞬間に感じたもの、自分の肉体、魂。すべてを取り込み、放ち切るという熱情。そんなものが、どんどん実態が霞み、抽象画のように熱蒸気が立ち上る。それでいて、視ているものに触れることをおおらかに許してくれているような開放さがあった。

子ども頃から、好き一本で観てきた。私もそれこそ、同じ対象を見続けてきた。見え方がこんなふうに変化するなんて。私も精神的に成熟したと、思っても構わない?

晩年のモネの年齢にだんだん近づいてきたと気付き、睡蓮をとおして彼の意識と一体感を感じられた、記憶に残る時間になったことが、とても嬉しい。

大混雑と聞いていたけど、驚くほどゆったりと、心行くまで心を浸してきた。今回思い切ってチケットを取って、ほんとうによかった。

新鮮だったことは、若い人たちが大勢来ていたこと。これまで、印象派といえども、こんなに若い世代は来場していなかったから。

おそらくの所感だけど、モネは確かに色彩が美しく、絵画の背景を理解していなくても、鑑賞自体を楽しめる。

それから、モネは対象の輪郭を、その瞬間、その空間に存在しているものがグラデーションに融合しているかのように描く。
質も位置も違うもの同士、例えば、セーヌ川から昇る朝日とか、それらは別の存在でありながら、同じ時空を共有し、スペクトラムにつながっている。

私はそんな感覚を自分に映し容れた。

そんなところを、現代を生きる若い人たちは、無意識に感じ取っているのかも。