ただ、愛しただけ

日常の気づき

子どもが小学校に上がるくらいまで、毎月絵本をとっていた。
童話館ぶっくくらぶという長崎の童話館。年齢に合わせて選ばれた絵本が2冊、送られてくる。

子どもはこれをとても楽しみに、心待ちにしていた。

毎晩寝るときになると、酒のつまみのように読んでもらいたい絵本を何冊か選んで布団に運び、「これ読んで。」と差し出すと、ウキウキが最高潮に達した顔をして、枕にコロンと仰向けになった。

はやばやと準備をして、寝酒ならぬ寝絵本を待っている。天井を見上げながら絵本を仰ぎ読む、寝る前の儀式。こんなに何冊も持ってはきても、1冊を読み終わらないうちに、親子は眠りの淵に落ちた。

帰宅すると、ポストに童話館から「ぶっくくらぶ通信」という会員冊子が届いていた。
子どもは今ではすっかり大人になって、もちろん絵本は読まない。

ものすごく古くて懐かしい、真綿のような気持ちに包まれた。
そして、童話館を離れることになったときのことを急速に思いだした。

子どもは小学校に上がると「じぶんで本を選ぶ」と言いだした。
配本を続けて5年ほど経っていた。その頃子どもは、本屋が好きな場所のひとつで、本を読みだすと何時間も動かないような、本好きになっていた。

もう絵本は卒業の時期を迎えた。

私は配本をストップしてもらうことを伝えるため、ぶっくくらぶに電話をかけた。

絵本を来月で終わりにしたいと思いまして。
そんなようなことを言った。ぶっくくらぶの方はとても穏やかで柔らかに、「もしよろしかったら理由を教えていただけますか?」と尋ねた。

わたしは子どもが「じぶんで選ぶ」と言い始めた話をした。

すると電話口で、「それはとってもすてきですね」と言われた。

「〇〇君が、じぶんで選ぶ力が付いてきたのだと知り、私たちもとてもうれしいです」
電話でそんなやり取りをした記憶が、鮮明に蘇ってきた。

お子さんの成長を知らせてくださり、ありがとうございました。
絵本でのご連絡はなくなりますが、これからも何かの形でご縁がつながりますように。

わたしはその時まだまだ母親として発展途上にいたから、そんなふうに子どもを捉えていなかったと思う。そうだよね、大きくなってきたし、読みたい本を読みたいよね、という感覚だったと思う。

絵本から本を好きになって、本の世界を知った。もっと世界を広げたくなって、絵本を卒業する。

絵本の卒業は、読み聞かせの卒業でもあった。

となりでぴったり添い寝し、わたしの頬を羽のようにかすめる子どもの髪。さっき一緒にお風呂で洗ったそのかおりをかぐと、なんだか分からないけれど、体中にかおりが染み渡り、心が震えるほど満たされた。

子どもが眠ると、世界が眠った。

一人っ子だというのに、子どもの細やかなことを、ほとんど覚えていない。
家族間でいろんな問題が起こり、心は荒ら波立っていたし、肉体的にはほぼ毎日が限界点に達するように、極大値で生きていた。

それなのに、なぜ、今まで思い出しもしなかったことを、突然訪問してきた昔の客のように届いた一冊の会員誌から、記憶が流れ出てきたんだろう。

あの頃大変だった。けれど、ただ、子どもを愛していた。

ただ、誰かを愛する。

そんな感覚を実感させてもらえたことだけで、あの頃は幸せだった。
いや、あの頃から幸せだったんだ・・・

問題に焦点が当たりすぎて、こんな特別でもなんでもない日常の営みが、本当はとても特別なことだったと今さらながら気が付いた。

絵本が子どもとの間に、いつもあったということも。


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