あなたは自己評価を下げなくていい

感情と共感

自分は子どもの頃、こんなに自尊心が低かったっけ?もっと積極的で活動的で、自分を思う存分解放していたはずなのに。

子どもの頃と今の自分との精神的なギャップ。そんなことを感じたことはありませんか?

何か大きな失敗をしたわけでもない。

誰かにダメ出しされたり、思い切り否定されたり非難されたりしたこともない。

じゃあ、なんで??

なぜこんなに、自分に自信がなくなってしまったの?

私に努力が足りないのだろうか。

一旦そんな思考は脇へ置いておいて、ちょっと振り返ってみてほしいのです。

あなたの身近な人に、感情が通じない人はいませんでしたか?

あなたの父、母、兄弟、姉妹。祖父母。

もしかしたら、夫や妻に、そんな人はいませんか?

相手にどんなに意を尽くしても寄り添っても、感じた気持ちを話しても、優しく聞いていなかったり、うまくはじかれたり、やんわりはぐらかされたり、ともすれば、軽いイラつきで返ってきたり、その状況と無関係なことに発展したり。

何を話しても穏やかに素っ気ない。気持ちを伝えても、ほとんど反応は「いつもと同じ」か返ってこない。私が習い事の発表会があって練習を頑張っているとわくわく話しても、歌が聴きたい、発表会観に行くよと言われたことはない。会が終わった後も「どうだった?」とも聞かれず、ほぼ無関心。

映画館でロードショーを観たあと、なにかしら感想を言うでもなく、「ランチなに食べに行く?」。冠婚葬祭はただの儀式のように淡々とこなして無感想。自分はものすごく心が揺さぶられて気持ちを話したら、聞いてはくれても、私が話し終えたと思ったら視線は新聞紙面に静かに戻る・・・

そんな実体験がある人は、あなたのその自己評価は間違っていると断言します。

だって、

人は、感情を感じ合ったり、交感し合ったりしてお互いの存在を知り、認め合うもの。

それが、人が人たる所以。

それが、感情がそもそもない人、薄い人、出てこない人、そして、感情が育っていないと思っていない人、または強烈に抑えている人がいる。

その人が身近な存在だとしたら、あなたはとても難しい環境に身を置いていて、相当我慢していると思っていい。

感情が通じないということは、言葉が通じないこととは全く別次元の、お互いの為人を認め合えないこと。感情はその人自身から湧き出た、その瞬間に誕生した、唯一無二のアイデンティティだから。

そもそも、感情の共感体験が実生活の中で持てずに生きてきたなら、自分がどういう状況に置かれて育ったのかを知る由もないのかもしれないけれど。

それでも、何か特別言い争ったり無視されたり、意見が対立するとか合わないとか、理由なんて特に見当たらないのにいつも心が満たされていなかったら、それは、あなたのせいじゃない。

そして、『感情的に孤独』だと感じているなら、

真心を込めて、自分と共感しましょう。

無感動な相手と「つながろう」として相手に合わせたり、自分の気持ちを抑えて一緒に居たりすると、どんどん自己否定が溜まる。それが結果として自尊心を侵害し、自己評価を低めていく。

感情が分からない人は、本当に多い。よくそれで生きていられるなぁ・・・と、率直に、思う。